佐賀市木原の矢ヶ部医院│医療法人純伸会

新型コロナウイルス感染症、戦争反対20220226


久しぶりの院長ブログの投稿です。

新型コロナウイルス感染症がまだまだ遷延しています。

当院では非常事態診療体制で診療しています。

発熱や咳、喉の痛み、嘔吐、下痢、嗅覚異常などの症状に気をつけていただき、症状が出たら職場や学校を休んで受診を必ずしましょう。

子供の新型コロナウイルス対策

日本では10代未満の死者数は無く、10代でもリスクの高い子供以外には基本的に死者が無いため、ワクチンのリスクも考えると10代はワクチンはやめておこうという意見が増えてきました。確かにワクチンのリスクは少なからずあり、若い人では症状が強い印象もあるので、それでもいいのかもしれません。また、学校の学級閉鎖や学校閉鎖は子供の損失であり、現在・将来的な社会全体の損とも言えるため(子供の教育や活動の機会の喪失、保護者が仕事を休むことによる労働力の低下などのため)発熱などの症状がある子供は休んでも、それ以外では学校生活で良いのではないかという意見があります。外国に学校生活を許容すべきという論文もあります。ただし、そうなると子供が家に持ち帰って家庭内感染するリスクは許容するという側面もあり、難しい判断です。もちろん感染させないのがベストということは当然ですが、学校生活をある程度許容すると感染のリスクが上がることは織り込まないといけません。

子供の教育の機会を重視して感染のリスクを容認するのか、感染のリスクを避けて子供の教育の機会喪失を容認するのかという正解のない難しい問題だと思います。

どちらのリスクを重視するのか

「年寄りを重んじて若者を軽視する」と最近の日本の政治にはとかく批判が多いのも、こういったことに対するバランス感覚の問題なのかなとも思います。

極端に言葉を切り詰めて言うと、年寄りがコロナで死ぬリスクと若者が教育の機会を奪われるリスクとどちらを選ぶのかと。

時間は戻りませんから、未来志向で行くなら若者の教育を採るべきなのですが、人間は目の前にあるものとまだここにはない未来とを比較すると目の前にあるものを選びやすいという性質もありますから難しいですね。

例えば首相とか、県知事とか、市長とか、校長とか、医師とか、発言力のある誰かが「私は若者の未来を取る」と言っても、市民たち、親たち、生徒たち、患者たちが納得しないと意味がありません。

影響力のあるリーダー

説得力を持って「未来を取る」と言い、人の行動を変えることができる人がいたら、その人は本当のリーダーかもしれませんね。その演説は名演説と将来評価されることになるかもしれません。ただしコロナウイルスがもっと強力で致死率の高いウイルスに変わって人がバタバタ死ぬ未来がやってきたら、その演説は今世紀最大の間違いと呼ばれることになるでしょう。未来は誰にもわかりませんから、本当のリーダーはそういったリスクも引き受ける人です。

ウイルスは今後弱毒化する?

ウイルスは宿主を殺してしまったら意味がないから弱毒化するなどと人類にとって都合の良い耳障りのいい話をする人もいますが、これは明らかに間違っています。

①ウイルスは意思を持っているわけでは無く、ただのRNAの塊がランダムに突然変異をしているだけなので、どちらの方向に変異するかはただの偶然。

②別に宿主が絶滅してウイルスも絶滅してもウイルスが困るわけでは無く(意思はないので)、ただの偶然。歴史の中で絶滅してしまった生物はいくらでもいる。それは偶然に支配されている。

③新型コロナウイルス感染症よりもっとうつり易くもっと致死率が高かった天然痘でさえ人類は絶滅しなかった。よってコロナウイルスがいまよりもっと致死率が高いウイルスになっても人類としては絶滅しないだろう。ただし個人レベルでは死んでしまう人は増えて困る。

ということから、ウイルスが弱毒化するか、強毒化するかはただの偶然なんです。

人から人にウイルスがうつるのを抑制することは社会活動を妨げればできます。だから人の知恵として社会活動を抑制するのはウイルス対策としては正しいのです。ただし社会活動の停滞が起こって経済が回らなくなり困るということなんです。

災害対策として

災害対策というのは、最悪の事態をまず想定することが基本だと思います。別にコロナウイルスに強毒化して欲しくないのは私も含め、皆さん当然そう思っていると思います。ですが、上述のように強毒化するかどうかはただの偶然なんです。だとすると地震が突然、偶然起こるのに備えるように、ウイルスが強毒化したらどうするのかと想像することは大切だと思います。こういうことを聞くと「まだ脅かして・・・」と批判してそれ以上は思考停止しようとする方も少なからずいらっしゃいますが、もし強毒化したらと考えることは人を脅したくて考えることではありません。

地震の話をするのは被害にあった方々のことを思うと大変申し訳ないことですが、規模の大きな災害と人知が及ばない問題という意味で敢えて比喩として使わせていただきます。東日本大震災とその後の津波が来る前に、「これだけ堤防を作ったのだから大丈夫」と考えていた人たちは堤防の無力を目の当たりにして唖然としましたが、自然の猛威とはそのようなもので、人類の希望なんて全く顧みてくれません。ただの偶然として粛々と物事が進むだけです。東日本大震災で原子力発電所の全電源喪失が起こって原発事故が起こったのは明らかに人災ですが、それは想定を上回る津波は来ないと自分たちの都合に合わせて勝手に自然の猛威の可能性を矮小化するという思考停止を責任者たちがしてしまったからです。

新型コロナウイルス対策は感染の拡大を防ぐのが本当は一番いいんです。ところがそれでは経済が回らないから、教育がうまくいかないからとそれを緩めようとしているんです。ただ、それも含めて自然の摂理として仕方がないのかもしれません。それでウイルスが広がって突然変異で致死率が上がってもし人類が絶滅したとしても、人類は経済なしには生き延びれない生き物だったから仕方がないよねと。

ノアの方舟の話はこういったことを揶揄しているのでしょう。自分の家族と身の回りの大切な人でコロナに感染していない人たちだけで船に乗って新型コロナウイルスの猛威が消えるまで閉じこもっていれば、その人達はコロナで他の人たちが絶滅したあとの世界で自分たちの子孫を増やすことができます。

ウイルス対策を緩めるなら覚悟を持って

新型コロナウイルスは抑え込めないから仕方がないよねという論調が広がるのはもう止むを得ないと私も考えてはいますが、可能性がゼロではない(高くないとは思いますが)リスクについての覚悟をしながら、もし強毒化が起こってしまったら死者が増えたり人類が絶滅したりする可能性は仕方ないと受け入れたうえでの行動であって欲しいなと思います。もし高い津波がきたら全電源喪失は仕方ないよねと思って行動していたのでしょうか。できる対策は全てやっていたのでしょうか。のように後世から言われないように。(実際には偶然なので起こるかもしれないし起こらないかもしれない。本当に起こるかどうかは神様のみが知ること。)

新型コロナウイルス感染症が治まり、人々の日常生活が戻ることを心より祈ります。

戦争反対

戦争は人の力で変えることができる人災です。ウイルスよりもっともっと簡単な話です。プーチンよ、考え直せ。

 

2022年2月26日

医療法人純伸会 矢ケ部医院

理事長・院長 矢ヶ部伸也

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